「しつこいゾ」と思われるかもしれないが、諦めきれない気持ちがずっーとあるから書く。一面の記事にある、「赤レンガ市庁舎の解体をやめよ」と求める裁判についてである。建築家で東海大学名誉教授、赤レンガ庁舎を活かしたシビックセンターを考える会代表の大矢二郎さん(80)が裁判の冒頭、意見陳述した。そのキモの部分を引用しよう。

 ――二〇一五(平成二十七)年五月二十一日、私は旭川市の情報公開条例に基づき市役所管財課で旭川市旧総合庁舎の「竣功(ママ)図」とされる図面を閲覧しました。これには配置図、平面図、立面図などの一般図と共に、梁伏図、柱・梁の配筋図などの構造図も含まれており、一九九七(平成九)年に被告(旭川市・筆者注)が行った耐震診断に際して使われたものであることは耐震診断の図書と照合して明らかでした。

(中略)

 要するに、被告は変更〈前〉の図面に「竣功図」という表紙を付け替えただけでそれを竣工図と見做したまま、正しい竣工図の作成を怠っていたのです。施設管理のこの杜撰(ずさん)さは、後にこの偽の「竣功図」を基に耐震診断が行われているだけに厳しく糾弾されなければなりません。

 被告が一九九七(平成九)年に実施した旧総合庁舎の耐震診断に際し資料とした「竣功図」なるものが本当に構造の実態を反映した図面といえるのかについて強い疑念を抱いた「考える会」は、二〇一七(平成二十九)年六月十六日、「旭川市総合庁舎構造部材の強度の検証に関する要望書」を市長宛に提出しました。筆者を含め当会の会員四名が旧総合庁舎六階の入札室で、市総務部の中野庁舎建設担当部長、同・田村次長(いずれも当時)に書面で要望の主旨を伝えたところ中野部長は「真相を究めるべく、徹底的に調査する」と回答しました。

 それから二か月余り経った二〇一七(平成二十九)年八月二十三日の北海道新聞朝刊に「市庁舎耐震 新たな図面」という記事が掲載されました(その時まで新しい資料が発見されたという事実を、要望した当の「考える会」には全く知らされておらず、その後も、正式な回答はなかった)。
(中略)

 こうして被告は二〇一七(平成二十九)年九月二日(土)と三日(日)の両日、閉庁中の旧総合庁舎五か所で柱のコンクリートの一部(四面の内の一面)を削り鉄筋を露出させて「竣功図」及び新たに発見された「変更図」と照合しました。その結果として被告は、実際の配筋状況が「竣功図」とも「変更図」とも正確には一致しなかったとする資料「総合庁舎の構造に係る調査の実施状況について」を作成、九月七日の市議会総務委員会に報告しました。

(中略)

 問題は、どちらの図面が実態に近いかということではなく、解体を主張する人々がこれまで拠り所にしてきた「竣功図」と、それに基づく耐震診断が正しくなかったという事実です。二〇一七(平成二十九)年九月七日の市議会総務委員会で被告が「変更図」は信頼性を有しておらず、「竣功図」を唯一公式なものと結論付けたのは事実誤認も甚だしく、逆に、「竣功図」こそ信頼性を欠いているのです。

 論理性を欠くこの強引ともいえる結論を被告が出さざるをえなかったのは、そうしないと、これまで主張してきた解体論の根拠がすべて崩れ去るからです。

 要するに、旧総合庁舎の竣工以来六十六年間、市はこの「竣功図」なる図書を本来あるべき竣工図と思いこんだまま庁舎を管理してきた訳で、度重なる増改築工事や一九九七年の耐震診断にあたっても、この図面を唯一、庁舎の実態を示す資料として、その誤りに気付かないまま扱ってきたことになります。

(工藤 稔)

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