あきらめが良すぎるのが筆者の欠点だと自覚している。この話もすでにケリが付いたものと思いつつも、何だか割り切れない気持ちが胸にモヤモヤしている。味気ない新庁舎と物語性を秘めた赤レンガ庁舎が並び建つ風景を見せられると、そのモヤモヤ感はいや増す。

 東海大学名誉教授で建築家の大矢二郎さん(80)が、今夏にも解体工事が始められる予定の旧旭川市総合庁舎(愛称・赤レンガ庁舎)解体の「仮差止め請求」の訴訟を起こす準備を進めている。

 大矢さんは二〇一六年、市内外の建築関係者や普通の市民らと「赤レンガ庁舎を活かしたシビックセンターを考える会」を立ち上げ、まちの文化遺産とも言える庁舎を耐震改修して活用するよう求める運動を続けてきた。解体目前になって裁判に訴える決断をしたのはなぜか。大矢さんからのメールにその理由の一端が読み取れる。以下、メールを引用する。

 ――六十六年前、赤レンガ市庁舎の竣工時に作成された「竣工図」には、着工後に施された設計変更の内容が全く反映されていません。ごく初期の設計図に「竣工図」という表紙を付けただけの杜撰(ずさん)な図書だったということは明らかです。従って、一九九七年、この「竣工図」を基に実施された耐震診断の結果も誤りです。これは、二〇一七年六月に配筋の「変更図」が発見されていることからも疑いようがありません。にもかかわらず、二〇一七年九月七日の市議会総務委員会で野党議員の質問に対し、市の担当者は「『竣工図』だけが唯一の公式文書であり『変更図』は信用できない」と答弁しました。
 この無理な強弁(おそらくは当の市担当者も自覚している)をしたのは、そうしないと市がそれまで解体方針の唯一の理由としてきた「耐震性の極端な低さ」が虚偽情報だったことになるからです。
 このまま赤レンガ市庁舎(新庁舎が供用されている今は「文化遺産」と呼ぶべきでしょう)が解体されるのを黙って見ている訳にはいきません。そこでこの度、札幌の弁護士の協力により解体の「仮差止め請求」をすることとしました。(引用終わり)

 小欄で、過去に何度も取り上げて来たが、赤レンガ庁舎を解体するという感性が私にはどうしても理解できない。一八九〇年(明治二十三年)の「上川郡に神居・旭川・永山の三村を設置」から、たかだか百三十年余の歴史しか持たないまちで六十六年の間、まちのシンボルとして仰ぎ見られてきた建物を無造作にスクラップにしようというセンスが分からない。設計した佐藤武夫(一八九九―一九七二)は、著書の中で次のように書いている。