GW明けから延ばし延ばしにしていた畑起こしをやっと始めた。「豆の種を蒔くのは、カッコウが鳴いてから」という格言は、誰に教えられたのだったろう。仕事ひと筋の鉄道マンだった父親からとは考えられないから、やっぱり母親からだったか。ユーラシア大陸やアフリカから渡って来るというカッコウが飛来する時期になると、もう遅霜の心配はないから、種を蒔いて良い。自然とともにあった時代の暮らしを彷彿とさせる、とても好きな言い伝えだ。

 数年前までは、朝、畑仕事をしていたら石狩川の対岸の河畔林から、のどかなカッコウの鳴き声が聞こえて来たものだが、ここ数年は耳にしない。さて、今年は鳴いてくれるか。自家採種したトラ豆の種を用意して、カッコウが鳴くのを待っている。一年で、一番ワクワクする季節の到来だ。それにしても、腰と内ももが痛いなー。毎年、この時期はこうだったっけ。歳のせいか…。枕はここまで。

 記者会見の場で、はっきり指摘してやればよかった。「おかしな質問をするな」と。よくあるのだ。しばらくしてから、「どうして、あの時、ちゃんと言い返せなかったのか」と反省する場面が。今回もそうだった。温和な性格のなせるわざだよなぁ。

 三月二十八日、旭川に公立「ものづくり大学」の開設を目指す市民の会(伊藤友一会長)が市役所の記者クラブで、記者会見を開いた。それを報じた月刊誌の記事について、友人から「なんか、おかしなニュアンスで書いているよ」と教えられた。図書館で読んで、コピーを取ってきた。

 小欄で、繰り返し書いたから詳細は省くが、くだんの月刊誌の記事で欠落している市民の会が反発する理由を指摘しておく。市と市議会、市民の会は二〇二〇年十月にデザインを中心に据えた新学部「地域創造デザイン学部・ものづくりデザイン学科、地域社会デザイン学科」を開設することで合意した。同月、市は「付帯決議を踏まえた整理」を議会の特別委員会に示し、特別委員会は了承して、予算が執行されたのだ。市民の会の面々は、その合意を何の相談もなく反故にして、「地域創造学部・地域創造学科」と改名し、「アントレプレナー」と「まちづくりプランナー」の二コースに変更したことに異議を唱えているのだ。

 月刊誌の記事は、次のように書く。

 ――市民の会側は、ことあるごとに二〇一二年に旭川市長に提出した四万三千筆の署名簿を“錦の御旗”のごとく振りかざして自らの主張を貫き続け、新学部の開設は結局、一年遅れることになったが、冒頭の「これ以上遅らせたくない」という文言は、組織としてそう簡単に引くに引けない事情と、組織の外から伝わってくる「市立大学は何も、市民の会だけの大学ではない」という“外圧”を前に置いた末の、「苦渋の決断」だったことを伺わせる。(引用終わり)

 市民の会の運動に関わった一人として言わせてもらうが、私たちは四万三千筆の署名を“錦の御旗”のごとく振りかざしたことなどない。まして、新学部の開設が一年延期されたのは、私たちの活動のせいではない。全く事実と異なる。新学部の名称から「デザイン」が削除され、「地域創造学部」とすると判明したのは、市と大学が新学部の開設を二〇二六年度に延期すると発表してからはるか後のことだ。はっきり言って、誤報、ガセである。

 記事の末尾はこうだ。

(工藤 稔)

(全文は本紙または電子版でご覧ください。)

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