夜、旭川市近文清掃工場の大きな煙突を照らしていたライトが消えた。市環境部によると、政府の節電要請に応えて三日から、ライトアップを自粛したのだそうだ。自宅のそばの堤防から、この煙突が遠望できる。赤やら、青やら、紫やらの光に照らされて夜空に浮かび上がる光景は、私には、美しいとは映らない。むしろ、気持ち悪いまでいかないが、観ても決して良い心持にはならない。光を当てて良いものと、良くないものがあるではないか。天を突く、高さ八十㍍、太さ八㍍のコンクリート製ののっぺりとした人工物である。無理に自己主張させるより、夜はお休みいただいた方が煙突のためにも無難だと思いますけど。

 環境部の担当者の話によれば、このライトアップは、工場が稼動を始めた一九九二年(平成四年)当時、地域の市民委員会と市との協議の中で実施が決められたという。想像するに、迷惑施設を建設する住民懐柔策の一つとして、市の側が「夜は、ライトアップして美しい光景が楽しめますよ」とかなんとか言い出して、住民の方も、今と違って節電なんて感覚はなし、ライトアップが流行し始めた時期だったし、深い考えもないまま受け入れて、それが現在まで続いている、ということではないか。

 この工場では、ごみを焼却する熱を利用して発電し、余剰電力は売っているのだという。それならばなおのこと、ライトアップで薄気味の悪い姿を夜空にさらすよりも、省資源・持続可能なエコな暮らしの象徴として、静かに夜の闇に溶け込んでもらいましょうよ。きれい・きれいじゃないの判断は、感性の違いと言ってしまえばそれまでだが、派手に明るければ何でもいい、という美的感覚は、いかがなものかと思います、です。ハイ。

 地方都市の、零細ウイークリー紙が、発行部数一千万部を誇る大新聞に毎度毎度、難癖をつけるようで申し訳ないが、十一月二十九日付読売新聞の社説には唖然とした。「『卒原発』には国政を託せない」の見出しで、二十八日に正式に発足した日本未来の党(代表・嘉田由紀子滋賀県知事)について、「国力を衰退させる『脱原発』を政治目標に掲げる政党に、日本の未来を託せるだろうか」「新党(日本未来の党)は、国政を担う能力に疑問符が付き、政策も大衆迎合色が濃厚だ。有権者はそのことを十分理解した上で、新党の価値を見極めることが重要である」と書く。つまり、読者に対して「次の選挙で、日本未来の党に投票するな」と求めている、ということだ。暗にではなく、明確に、である。(工藤 稔)

(工藤 稔)

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