東北に住む友人から「米がほしい」と連絡があった。昨秋、電話で話した折、私が三年前から友人たちと「米づくり」を楽しんでいる、しかも「はさ掛 け、天日干しだぜ」と自慢したのを思い出したのだそうな。「女房が、急に、自分たちは何を食べてもいいけど、高校生、中学生の子どもたちには、出来るだけ 放射能を浴びた可能性の低い米を食べさせたいって言い出してさ。お前の米、余分があったら、金払うから送ってくれないか」との話である。
彼の住まいは、福島県内ではない。東京電力福島第一原発から百五十㌔以上も離れた、しかも米どころである。その県下で放射能汚染による米の栽培規 制が行われたという話も聞かない。「風評被害に対して怒らなければならない東北の人間が何を言うか、と思うかも知れないけど、オレの周りには東北産の米も 野菜も魚も買わない、という人がいっぱいいる。国やマスコミの『大丈夫です』『ただちに健康に影響はありません』という発表・報道は信じない方が賢明なん だと、フクシマ以降、みんな知ってしまったということだ。五百ベクレルは危険だけど、四百ベクレルはOKですよ、みたいな話、いくらお人好しの日本国民で も、もう通じないよ」と彼は言う。
新聞もテレビも雑誌も、あげて「三・一一特集」である。あの時、たまたま居た場所や小さな判断の違い、ちょっとした運不運、偶然隣にいてくれた人 の機転…、何の意味もないようなそんな違いが、地震に潰され、津波に飲まれて亡くなる人と助かる人の差になった。あの日から一年、日本一災害の少ない北の まち旭川で平穏な日々を送る私たちは、ただ、命を落とした方の無念を思いながら手を合せるしかない。
だが、フクシマは違う。政治家や役人や大電力会社や御用学者やエセ評論家やマスコミが、何の根拠もなく言い募る「原発絶対安全説」を私たちは、何 となく怪しいぞ、最後のゴミはどうするの、札びらでほっぺを叩く下品なやり方は我慢ならないわ、などと胸をチクチクさせながらも、結局は黙認して来たの だ。「幌延を高レベル廃棄物の最終処分場にはさせない方がいいと思うな」などと酒を飲んだ席で親しい人だけに呟くだけで、北海道電力が泊原発三号機でプル サーマル発電をすると言い出しても、「プルトニウムって一㌘で五十万人を肺がんにしちゃうほどの猛毒らしいぜ」程度の反応でスルーである。
(工藤 稔)
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