弊社の女性記者が書いた五月十四日号の一面「コロポックル」の書き出し。
――「つぶやきません」「いいね! もぅしません」。これは、飲料メーカーのCMの台詞だ。ネット上でのコミュニケーションの場を提供するソーシャルメディア(SNS)の機能や便利さを指している。このCMでは「ソーシャルデトックス」という、SNSから距離を置いてみようという運動を呼びかけている。「SNS疲れ」という新しい言葉が生まれるくらいだ▼フェイスブック、ツイッター。私も数年前からやっていたが、ある日「人のことをそんなに気にすることないなぁ」という心境になり、やめた。私も疲れた一人なのかもしれない。
昨春母親になった彼女は、このコラムを次のように締めくくる。
――コブシの花のつぼみが膨らみ、土筆(つくし)が空に向かって伸びる季節だもの、そんな風景を一歳になったばかりの我が子と一緒に楽しまなくっちゃ。
時代遅れのオジサン記者は、皆が傾くモノ、新しいモノには生理的に警戒心を持つ。否定はしない。だが、まずは疑ってかかる。彼女が一度は夢中になって、娘が誕生した後に「やめた」フェイスブックやツイッターにしてもそうだ。勧誘があるが、「この歳になって、これ以上の友達はいりません」「今でも、手に入れる情報を処理しきれないのに、これ以上は無理ですから」という理由で、お断りしている。
「発信」も、仕事で書いているだけでフーフーだ。生来の筆不精ということもあって、携帯電話やパソコンに届くメールにも、必要最低限の返事は書く、いや書こうとしている。が、書かないまま忘れてしまうことも多々ある。すみません。
だから、一国の総理大臣が新聞記事に反応して、その相手をこき下ろしたり、揶揄したりするという「筆まめさ」、言い換えれば「軽さ」、「品格の欠如」に、ほとほと困惑してしまうのだ。
(工藤 稔)
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