「去年が出来過ぎとは思っていたけど、ここまで落ちるとはなぁ」「出店料が高過ぎる。完全な赤字。来年? 分からないなぁ」「出店した場所によって、売り上げに差があり過ぎだ」などなど。十七日から三日間、買物公園から常磐公園一帯を会場に開かれた「北の恵み 食べマルシェ」の出店者たちの感想である。主催者発表で七十二万六千人が繰り出したとされるが、三日間のうちの二日は雨にたたられ、予想した売り上げを確保できなかった店が多かったようだ。

 赤字になった出店者たちの恨み節は、雨を降らせた天ではなく、主催した旭川市を中心にした主催者に向かう。人為的に創りだした、新しい祭りの難しさだろう。昨年は、旭川の「開村百二十年を記念して」という大義名分があった。だが今年の開催理由は、「去年、評判が良かったから」。つまり、泥縄、惰性であった。

 開催に汗をかいた方たちを揶揄するつもりは毛頭ない。「祭り」というものを考えようということだ。歴史を持つ多くの祭りは、人知を超えた「神」、あるいは「天のようなもの」に「奉納」するという大義名分がある。だから、例え雨が降ろうが、雪が舞おうが、それは奉納する当の神のなせるわざであるのだから、黙って受け入れるしかない。「来年は天気になってくれればいいね」で終わる。

 近ごろ、雨後のタケノコのごとく、あっちでもこっちでも大流行の食のイベントに大義名分はあるか。主催する側は、経済波及効果を当て込んで、片や出店者の多くは利益が目当て。いずれにしろ、開催の目的の一番は、「お金」である。しかも、旭川の「マルシェ」の元締め、主催者は、実行委員会の形を取っているとはいえ旭川市だ。儲けを当て込んで出店した側は、儲からなければ、赤字が出れば、当然のように主催者に、食って掛かる。行政には文句を言いやすい。このイベントが、本来利益を追求すべきではない「祭り」になっていない証左である。

(工藤 稔)

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