前号のつづき。三月二日朝、私は名護市辺野古の米軍基地、キャンプ・シュワブのゲート前にいる。

 次第に増えて二百五十人になった座り込みの一団は、第一ゲートから弾薬庫の出入り口、第二ゲート前に移動した。しばらく、ゲートを守る機動隊員たちと座り込みの一団とのやり取りを取材した後、午前九時過ぎ、テント村に引き返した。話を聞く人はいないかとふらふらしているところに、地元の人らしき二人連れがやって来た。「高江に行くバスってないんですか」と声をかけてみると、年配の人が「これから高江に向かいますよ。この方を案内するんですが、一緒に行きますか」と答えるではないか。なんという幸運。金運がない分、こんな僥倖に恵まれる。

 「高江」というのは、東村(ひがしそん)にある米軍の北部演習場に隣接する集落。人口百五十人が暮らすこの高江地区を囲むように、二〇〇七年からヘリコプターの着陸帯・ヘリパッドの建設が始まった。住民・県民の反対運動を国が蹴散らす現場を追ったドキュメンタリー映画「標的の村」(三上知恵監督・二〇一三年)で、全国にその名が知られるようになった。「標的の村」とは、米軍が高江の集落と住民をジャングル地帯での演習の一環に組み込んでいる、という意味だ。どうにかして高江にも行きたい、最終的にはタクシーを使おうか、と思い悩んでいたところだった。

 東京から来た男性と私の二人を高江まで案内してくれたのは、平和市民連絡会のメンバー、手登根純義(てどこん・じゅんぎ)さん(68)。NTT(日本電信電話)のOB。米軍基地反対の市民運動に関わり、座り込みを応援しようと、マイカーを使って自宅がある那覇から辺野古や高江まで送迎するボランティアを続けている。

 高江までは六十㌔ほどの距離だ。手登根さんは、私たちをまず、瀬嵩(せだけ)灯台跡に案内した。地元の人でなければ知らない場所。山道と石段を十分ほど登ると、かつては灯台があったという石畳の広場に出た。大浦湾を一望できて、右手奥にはキャンプ・シュワブの大きな兵舎の建物が見える。海には立ち入り禁止区域を示すフロートが浮かび、その内側(住民から見ると外側)には、埋め立ての準備工事なのか大型クレーンを搭載した艀(はしけ)や海上保安庁の監視船らしき船影もあった。

 私が二泊するゲストハウス「海と風の宿」にも、大浦湾の海上で、基地建設に抗議するカヌー隊に参加する男性(69)が長期滞在していた。多くは語ってくれなかったが、「沖縄の今の状況は、私たちの世代の責任が大きいと思う。せめてもの罪滅ぼしの気持ちで、心配する家族の反対を押し切って来ている」と打ち明けた。一年前、海上保安庁のボートにカヌーを転覆させられた上に、上半身を押さえ込まれて神経を傷めたという。

(工藤 稔)

(全文は本紙または電子版でご覧ください。)

●お申込みはこちらから購読お申込み

●電子版の購読は新聞オンライン.COM

ご意見・ご感想お待ちしております。