このところ、ちょっと年上の先輩の訃報が少なからず届く。十七日に急逝したと報じられた俳優の西田敏行さんは七十六歳。僕も、いつ逝ってもおかしくない歳なのだ。毎月開催している異業種の経営者が集う飲み会のメンバーとも「あと何年、こうやって酒を飲めるかなぁ」みたいな話になったりする。八十歳を過ぎた畏敬する先輩に「順番を守ってくださいよー」と憎まれ口をきいたりして。だが、間違いなく死は遠くない。

 僕の母親はこの八月で満九十九歳になった。家人は乳がんを発症して十五年になる。いまも、三週間に一度通院して治療を受けている。彼女は、再発しても手術などの治療はしない、と決めている。親不孝者の僕に代わって、彼女が四年前まで独りで暮らしていた母親の様子を見に通ってくれていた。二年前に急死した僕の姉と二人で、墓参りやら、買い物やら、病院通いやらに付き添っていたのだ。

 九十九歳の母親はいま老人施設で、手作りの三度の食事をあてがわれ、週に二度、介助付きで風呂に入れてもらって、独り暮らしのときよりも明らかに元気になった。新型コロナに感染して二度入院したが、ケロリとして生還し、ほどよい痴ほう具合で、コロナ感染のことなどすっかり忘れている。家人が、「お義姉さんがよく『こっちが先に参っちゃうわ』って言っていたけど、本当にそうなったものねぇ。私たちも、敗けちゃうんじゃない?」と笑う。いや、まじめな話、艶々した母親の顔を見ると、僕も家人も、すでに敗けている感じ。

 そんなこんなで、改めて「死ぬ」ことについて考えていると、八日付毎日新聞の「特集ワイド」のページで、「必ずくる『その時』を考える」「自分を見つめ『死の体験旅行』に参加」なる見出しの記事を見つけた。【福田智沙】の署名記事。もともとは、運動部の記者らしい。記事は、横浜市の寺で開かれている「死の体験旅行」というワークショップに参加したリポートから始まる。ちょっと引用しよう。

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(工藤 稔)

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